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もうすぐ雛祭り。
節分過ぎたら出すと意気込はあったものの2月末。。
こんな私を励ます本に出会いました。
粋な江戸っ子の女房は、2月26日に雛人形を飾り、
3月3日はよもぎ餅、赤飯、蛤のお吸い物で酒宴。

雛人形をもらった当初はいそいそとだしていたのに、
出すのが遅くなる理由を考えてみると、
今は楽しみというよりすべきこと、そして、
場所をとる方が気掛かり(^_^;)

浮世女房洒落日記 (中公文庫)

お江戸は神田の小間物屋、女房・お葛は二十七。お気楽亭主に愛想つかし、家計はいつも火の車。それでも風物たのしんで、美顔の探求余念なし。ひとの恋路にゃやきもきし、今日も泣いたり笑ったり。あっけらかんと可笑しくて、しみじみ愛しい、市井の女房が本音でつづる日々の記録

この本の2月26日

お雛様を飾る。うちの飾り雛はお内裏様とお雛様だけで、三人官女も五人囃子もないからあっという間に飾れる代わりに、そのままだととても地味になってしまう。そこで桃の花や金屏風で賑やかに飾りつけるのが私の腕の見せどころ。今年はおおぶりの桃の花を買い、お雛様が花を背負っているように飾ってみた・・

1週間前に飾っていたことと
毎年様々にしつらえていたこに心が響き、
今年から真似することにしました。

今年は、
塗りの台の代わりに初めて赤い毛氈を敷き、
屏風や雪洞も出さないなど、お道具も最小限にして、
本物の桃の花を活かすように飾りました。

毎年変化をつけて飾っていこうと思います。


娘が3歳になったので、今年は七五三です。
高齢のおじいちゃん、おばあちゃん、2歳の従弟も参加のため移動は避けて、お詣り&撮影&食事が一か所で済ませられる神社で、七五三のプランを利用して平日に行って来ました。

着物に対する娘のテンションを心配していましたが、事前に衣装を選びに行ったところノリノリ。「これも着たい!あれも着る!」と非常にエンジョイしている様子だったので安心しました。
(当日までは「いい子にしてないとお着物着れないよ」というのが効きました)

私に髪を結ばれるのは痛いといって嫌がるのですが、鏡の前にご機嫌で座って髪をアップにしてもらい、自ら「お化粧もする~!!」と宣言。髪飾りをつけてほんのり赤いアイシャドウと口紅を塗ってもらい、ご満悦。おばあちゃん達もシャッター音をパシャパシャ鳴らします。

準備が済んだら、プロのスタジオ撮影⇒お詣り⇒神社内で自分たちで記念撮影⇒着物を返してから食事、という流れになります。

少し待合室で順番を待ち、さあみんなで撮影だ!楽しみ!
という段になったら、、、娘のテンションはすでに消え去っていました。

まっすぐ立つのもイヤ、人にもたれて髪はくずれ始め、顔を手でこするため化粧なんてなかったことになっています。
結局撮影はグダグダ、自分たちで撮る写真は年賀状に使いたいと目論んでいたものの、まともな写真なんて全く撮れない! 
私が事務手続きしてる間にやって来て「ほら、手続きはやっとくからママも一緒に写真撮っておいで」なんて言ってくれる気の回る者は皆無! 
あの場所で家族写真を撮りたいと申し出たところ「えー、もういいんじゃない?」「時間がかかる」「疲れた」という声があがり、結局私と娘のツーショットはゼロ。なんとか持ち込んだ年賀状用の家族写真は、私が娘を動かないように抑え込む不自然なポーズに後ろに観光客が写り込むというまったくつかえないものに終わりました。
(冒頭の写真は鳥居の隙間で遊ぶ我が子)

3歳さんと5歳さんの姉妹がおとなーしくかわいーく、着物姿のママも上品にきれーに写真に撮られてる横で、ドタバタやってる自分がちょっと悲しかった。。。

活発ですねーとよく言われる3歳児にとって、帯はないとはいえ着物で長時間いい子にしていろというのは、やはり無理な話でした。
そして、私の希望を聞いてくれるような家族の協力は望めないことがよくわかりました。なんか丸投げされて荷物とか持たされてグッタリしたし。今になってフツフツとそこんところに怒りがわいてくるー

7歳はリベンジです。
私と娘だけでこっそりスタジオに行き、私も着物を着て前撮りするのはどうだろう?
思う存分、好きなように撮ってもらうのがいいかもなーなんて考えてます。

                 


 

端午の節句はとうに過ぎてしまいましたが、
我が家ではいまだに「つるし飾り」の五月人形が飾りっぱなし。
そろそろ片付けようと思い、その前に写真を撮りました。
ひな祭りに飾る「つるし雛」は有名だけど、
五月人形版を飾る家も最近は増えているようです。

このつるし飾りは姉が息子のために昨年手作りしてくれたものです。
それだけでも嬉しいのに、使用している生地は
ここ数年のうちに亡くなってしまった義父母の遺品である着物の端切れ。
古びた着物をどう処分するか悩んでいたところ
喜んでつるし飾りにリメイクしてくれたのです。

つるし雛の由来について調べると、
その始まりは江戸時代の伊豆・稲取温泉だそうです。
当時、雛人形は高価で一般庶民には手の届かないものでした。
そんな雛人形の代わりに、母親や親戚、近所の人たちが
着物の端切れなどで小さな人形をつくり、
持ち寄って飾るようになったようです。
人形ひとつひとつには子どもの幸せを願う
周囲の人たちの気持ちがいっぱい詰まっているんですね。

姉いわく、鯉に乗るのは私たち家族3人とのこと。
それを聞いてめちゃくちゃ感動してしまいました。
このつるし飾りを孫に引き継げたら嬉しいな。



来年は節分が終わったらすぐにと決意したはずなのに、
やっとお雛様をだす始末で、反省しきりです。
小道具の菱餅を飾りつつ、今更ですが、
本物を食べたことがないと気が付きました!
ひなまつりは、桜餅でよかったのかしら?
 
 

ひなまつりとは、
室町時代、中国から伝わった五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一つ。旧暦3月上旬に行われ、「老若男女関係なく」、季節の変わり目に「身のけがれを祓い、無病息災で暮らせるように」と川で身を清めて汚れを祓うという神事だったそうです。

平安時代、宮中の女の子の人形遊び「ひな遊び」と結びつき、紙人形などけがれを移して川に流し、女の子の健康と幸せを願ったのがひな祭りの起源だと言われています。今でも、鳥取や京都では「流しびな」という風習があります。

江戸時代、徳川家康の孫娘が娘のために男女一対の内裏びなを作ったことにはじまり、裕福な商家や名主の家庭へと広がり、次第に3月3日に人形を飾って女の子の成長を祝う儀式として定着し、飾る人形もだんだん豪華になっていったということです。

明治時代、三人官女や五人囃子などを加えた段飾りが普及しだしたとのこと。

 
お祭りなので、
ひな人形には雛あられや菱餅を供え、桃の花などをも飾って、
白酒やちらし寿司などの食も楽しむ年中行事です。
 
菱餅は、
明治時代に、雛祭りのお菓子として登場しました。
親が、娘の健康と厄除けを願う気持ちが込められています。
緑、白、ピンクの3色の餅を菱形に切って重ねたもので、
色の意味には諸説ありますが、
緑は、よもぎを交ぜて「健康や長寿」、
白は、ひしの実を入れて「清浄」、
ピンクは、クチナシで色をつけ「魔除け」です。
 
桜餅は、菱餅よりも早く登場した、
江戸時代に長命寺の前で売り出さたという庶民のお茶菓子。
特に、雛祭り限定ではなかったのです。
昭和になって、色合いがぴったりだったため、
端午の節句の柏餅に対抗したなどの諸説がありますが、
ひなまつりのお菓子の座を獲得していったそうです。
だから、昭和育ちの私は、ひなまつり=桜餅だったのですね。
 
時変われば、風習も変わります。
今はひなまつりのケーキも店頭を飾っているので、
平成のひなまつりのお菓子は何になるのでしょうか?
 
 
ちなみに、他の食べ物にも様々な願いが込められています。
 
ひなあられ
ピンク、緑、黄、白の4色でそれぞれ四季を表し
「1年中娘が幸せに過ごせるように」という願い
 
はまぐりの吸い物
貝殻が対になっていることから、仲の良い夫婦を表し、
一生一人の人と添い遂げるようにという願い
 
ちらし寿司
実は特にいわれはないようです(^_^;)
ただ、えび(長生き)、れんこん(見通しがきく)、
豆(健康でまめに働ける)など縁起のいい具や、
三つ葉、卵、人参などの華やかな彩りが春の祝宴にぴったり。

 
とにもかくにも、
今年は菱餅を買って食べようと思います。
 



節分≒立春と勘違いをしていました!
今年は2月3日が節分、翌日4日が立春です。
節分は、春を迎え新しい一年の始まりの前に邪気を払う行事、
立春は、季節が冬から春になったその日。
節分の豆や恵方巻にかわる、立春の何かを探ってみました。
 
 
暦の上では1年の始まりは正月で、生活の始まりは立春と
別のものととらえられていたそうなのですが、不思議です。
節分の陰にかくれているような「立春」に
スポットライトをあててみると・・
 
立春大吉
禅宗のお寺から来ている慣習で、
新しい一年を迎える立春に、その一年がいい年であるように
願いを込めて掲げる、「立春大吉」と言うお札。
縦に書かかれた4文字は左右対称、裏から見ても同じなので、

鬼が家に入り振り返ると、入る時に見えた立春大吉の文字が
同じに見え、「まだ入ってなかったのだ」と勘違いして、
逆戻りして出て行ってしまったということから厄除けに。

白い紙(できたら半紙)に、墨か筆ペンで縦に「立春大吉」
と書き、最後にフッフッフッと自分の息を吹きかけ、
玄関むかって右に貼ったり、神棚に備えるそうです。
 
 
立春生菓子
朝生菓子は、つくったその日に食べる生菓子で、
草餅、大福、団子など、なじみのある生菓子。
この立春の朝に作った生菓子を、その日のうちに食べると
縁起がよいと言われているそう。
2/4当日に、春らしいさくら餅やうぐいす餅を食べるのは、
知らなかった嬉しい歳時記。
 
 
立春朝搾り
新春を祝う酒として一献傾むけるにぴったりのお酒。
節分の夜から一晩中もろみを搾り続け、立春の早朝に
搾りあがったばかりの生原酒を、当日夜にお届け。
北は北海道から南は九州まで全国40蔵で展開
 
 
他にも、もっとありそうです。
日当たりのよい場所の梅が咲きだしました。
1年で一番寒い時期ですが、
可憐な梅と小さなめじろを見ると、春を感じます。
今年は思いあらたに立春を迎えようと思います。
 


 

年明け、ひょんなことから急きょ小田原でスポーツ観戦をすることになり、ついでに家族で鎌倉へ足を延ばし初詣に行ってきました。学生時代に神奈川県の藤沢市に住んでいたので特に江ノ電は懐かしく、30年前と変わらない景色にあーこれこれ!と一人で盛り上がってしまいました。

若い頃は鎌倉や湘南のミョーにこじゃれた感じが苦手だったけど、お寺や神社巡りをしながらの散歩や広い海を眺めるのは気持ちがいいです。近くに住んでいたんだから敬遠せずにもっとこの地を楽しめばよかった..。

鎌倉では大仏を見てから長谷寺に向かいました。この寺の植物は本当によく手入れをされていてすべてが美しかった。中でも目を引いたのは「三椏(みつまた)」という落葉性の低木で、今の時期は葉がなく三月ごろに咲く花(実際にはガク)のつぼみがまるで鈴のようにたくさんぶら下がってとっても可愛い。三椏の名は枝の先が鳥の足のように三又に分かれていることに由来し、その樹皮は昔から和紙の原料として重宝されているようです。もし入手できたらぜひ育ててみたい!

そして鎌倉でのメインイベントは鶴岡八幡宮での初詣。といっても主たる目的は参拝後の「おみくじ引き」で、家族3人それそれが気合を入れて今年の運勢を占うくじを引きました。で、いっせーの!の掛け声で見せ合うと、なんと全員が凶。

鶴岡八幡宮は凶が多いという噂は本当だったんだ。でも3人ともが凶とは運がなさすぎる。私のおみくじには「現状に満足して慎ましく生きなさい」的なことが書いてあったけど、これは今まで通りでいいってことか。ま、大凶じゃなくてよかった。

鶴岡八幡宮では凶や大凶を引いてしまった人のために「掴み矢」というものを設置していて、まずおみくじを「凶みくじ納め箱」に入れてから3本のうちの中央にある矢を握ると凶運を強運に変えることができるらしい。もちろん私たちもその矢を握ってきました。強運の持ち主になったことを信じて今年一年がんばります。

 


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名古屋市では毎年1月に家族をテーマにした啓発イベントが開催されます。大規模なホールでステージや作品展示、工作体験やアトラクションなどが提供され、親子がたっぷり楽しんで家族の大切さを再認識しよう、という主旨のイベントです。ま、そういうものに興味のない私は今まで足を運んだことがなかったのですが、PTA絡みで息子が通う小学校が担当するブースを手伝うことになってしまいました。ブースのテーマは、子どもを対象にした「鳴海絞り体験」。

鳴海絞りとは藍色を主とした絞り染めで、江戸時代から今に伝わる国の伝統工芸です。その昔は、私が住んでいる東海道の鳴海宿近辺でとても盛んな産業だったようですが、徐々に衰退し規模はかなり縮小しました。しかしながら今でも地元の大切な伝統工芸品として健在です。

この鳴海絞りを体験できるブースでは、子どもたちが簡単な伝統柄のハンカチを作成します。無地のハンカチの数か所を紐で絞り、藍色に染め、縛った紐を解くと染まらなかった白色の部分が柄になるのです。私の担当は染めの作業を指導すること。そこで先日、近所にある鳴海絞りの染物工房に出向いて染めの基本を教わり、イベント当日に着るスタッフTシャツなるものを染めてきました。

Tシャツの胴の部分3か所を麻紐できつくグルグル巻きにして、濃い藍色で染め、2か所を解いて薄い藍色で染め、残った紐を解いて完成。とても簡単な作業ですが、出来は参加者それぞれ千差万別で面白い。仕上がってみないとどんな柄になるのか分からないところも魅力です。

自分の家の近所にこんな伝統文化があることに感謝しつつ、
イベントが成功に終わるようにこれからも準備を進めていきます。


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多くの方にとって仕事初めの今日は、大安。
「何事においても吉日」と結婚式、引越はじめ、
宝くじやおめでたい縁起物を買う人も。
私も幸運を願って、本日とある振込を予定(笑)
今時の大安・仏滅などの六曜とのつきあい方は?

六曜とは?
先勝・友引・先負・佛滅・大安・赤口の6つのことです。暦の中で最も有名な暦注で、運勢暦でなくても普通のカレンダーや手帳にも記載されています。結婚式は大安に、葬式は友引を避ける等、日常生活の様々な場面で活用されています。

六曜の歴史とは?
14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて日本に傳来しました。その名稱や解釋・順序も少しづつ變へられ、現在では大安と赤口以外は全て名稱が變はつています。現在の形になつたのは、19世紀初頭の文化年間のことです。江戸時代の終りから民間の暦にひつそりと記載され始めました。それが、明治時代に入つて吉凶付きの暦注は迷信であるとして政府に禁止されたことが、逆に六曜の人氣に拍車をかけることとなり、第二次大戰後の爆發的流行に繋りました。

年末に、六曜カレンダー「差別につながる」と
大分で配布中止のニュースがありましたが、
10年前にも、大津市役所が作成した同年度版職員手帳に
六曜が載せられていたために、部落解放同盟の抗議を
受けて回収され全て廃棄処分されるという事件も。
要は、「科学的な理由がない迷信が差別につながる」
という見解に基づいているようです。

行政・公共機関が発行するカレンダーへの記載が
適切か適切でないかは別とし、
六曜自体は、迷信の側面も持ちつつも、
気にする方が多くいる、無視できない習慣なのでは?

気にする方が多い冠婚葬祭は
・結婚式 ◎大安、○友引、×仏滅、××赤口
・葬式  ×友引
・法事  ×赤口

私は、他は「大安=ツイテイル」くらいの感じです(^_^;)
・お祝いを買う時や持って行く時
・お見舞い
・墓参り
・引っ越し
・納車
・家を建てる時、買う時、登記の時
・入学願書提出、資格試験申込、受験料振込
・宝くじなどを買う時
・鏡餅など縁起物を買う時
・大切なものを買うとき、新しいものをおろす時

2016年も皆さんにたくさんのツキがありますように♪


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私が住んでいる地域の子どもたちには夏休みの恒例行事があります。
それは毎年7月の下旬に催される「修養会」といって、
近所にある誓願寺というお寺に2泊する合宿のようなもの。
今年で45回目、なかなか歴史のあるイベントです。

小学生なら誰でも参加できて息子は2回目の参加。
毎年50人ほどがお寺の本堂に泊まり
お経や座禅、ラジオ体操や夏休みの宿題に励み、
そしてキャンプファイヤーや わらぞうり作りなどを楽しみます。

この行事を手伝ってくれるのは近隣に住むボランティアの方々で、
夕食のカレーを作ってくれたり わらぞうり作りの指導をしてくれます。
そして何といってもこの修養会に欠かせないのは
以前小学生のときにこの行事に参加していた中学生たちで、
プログラムの作成や進行をはじめ子供たちの世話を細やかにこなします。
聞けば、エアコンもない熱帯夜の本堂で子どもたちが就寝する際、
みなが寝付くまで団扇で仰いでくれるそうです。
我が息子も中学生になったら彼らのように
子どもたちをお世話する立場でまた参加してほしいものです。

したたる汗も虫刺されもいやだけど、
大勢で火を囲み、
よく冷えたスイカを食べ、
お年寄りと一緒にわらぞうりを作る。
子どもたちにはこの上ない夏休みの思い出になることでしょう。
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自治体の広報誌に、公共施設での「お茶会」発見。
先着順、初心者歓迎、白い靴下のみ、一人400円と
気楽に参加できる印象を持ちました。
久しぶりに、たてていただく抹茶・お薄を
飲みたいと、ふらっと一人で参加してみました。

服装は、
お着物の方も、普段着の方もいました。
本来は持参した足袋にはきかえるものだそうですが、
私は唯一必須の白い靴下を最初からはいていき、
足をくずしても目立たない長いフレアスカート。
アクセサリー・香水はいつもつけていないのでOK。

持ち物は、
扇子・懐紙・菓子切を持っていくものらしいのですが、
「白い靴下」のみを真に受けて、手ぶらでした。
ところが、一緒に席に入った15人中、
なんと私以外の方は皆持参していました。。
お菓子をとれない私には、スグに懐紙と楊枝が(^_^;)

受付で、
400円を支払って、控室でしばらく待機していると
次々と老若男女がやってきました。
素養のある雰囲気のある方が殆どで、もしや場違い!?

席入りは、
案内にしたがって、皆さんは扇子・懐紙・菓子切を手に、
私は手ぶらで、こわごわ最後に入りました。
茶釜にもっとも近い席は正客という偉いお客様が座り、
本来は亭主とお道具についてのお話するようですが、
初心者だけれども唯一の男性が座りました。

練切の和菓子は、
青い紅葉を形作った、美味なお菓子でした。
亭主のながれるようなお点前でいれたお薄は、
正客と次客のみへ。その他の方には、
奥で既にいれたお薄が配られました。

私には夏用の平べったい撫子のお茶碗に、
ふっくらとたてられた美味なお抹茶。美味しい!

お点前のあとは、棗(お抹茶入れ)や茶杓を拝見。
質問できる素養もないけれど、きれいなお道具でした。
これにて、大和撫子体験も無事終了。

しびれて立てなくなる恥ずかしい事態にはならずに、
美味な和菓子とお茶を堪能できて、大満足。
また広報に目を光らせて発見したら、
今度は一夜漬けでも「入門」を読んでから、
参加したいと思います。